このブログを書いている岡本 未幸です。
大まかな経歴と、どんな想いで過ごしてきたのかを書いてみました。
この記事の目次
おおまかな経歴
<レールの上を歩いていた時代>
1980年生まれ
・0歳~15歳
中学生くらいまでは「自分はわりと優秀かもしれない」と思ってた。・高校時代
落ちこぼれる。ちなみに英語の成績は「2」、数学は「1」。もちろん大学受験失敗。・浪人時代
やっと英文法を理解する。ちなみにあの林先生の生徒。
・大学時代
スポーツにのめり込み、学校へはほとんど行かない日々。
旦那さんとなるタクさんともそのスポーツを通して出会う。
・社会人時代
中堅不動産会社で5年間、その後インテリアコーディネーターの資格を取り転職。
その転職先が超ブラック。
<ちょっと自由になってから>
2011年:セブ島留学を経て世界一周旅行へ
2012年:フィリピン・セブ島に旅人たちのための英会話スクールCROSS×ROADを立ち上げる
2013年:長男の優磨誕生(セブ島)
2017年:長女の優月誕生(日本)
2018年:CROSS×ROADに親子留学コース設立
2017年7月:第二子の出産のため日本へ長期帰国。その期間優磨は日本の幼稚園へ。
2017年9月:第二子(長女:優月)出産
2018年1月:セブへ戻ってくる
想い
誰かが敷いたレールの上を歩き続けた29年
『世界一周をしてセブ島で起業して子育てもしている』
今現在だけを切り取ってみるとちょっと変わった人生を歩んでいるように見えるかもしれませんが、世界一周の旅に出るまではごく普通の人生でした。今振り返ると、まるで誰かが引いたレールのようなものの上をただただ歩いているようなものでした。
大学まで進学したものの、本当は何がしたいのかわからないまま表面的な理由を見つくろって就職しました。そして、いずれ結婚して、子どもを産んで、落ち着いたらパートでもして、、、そんなふうに思っていました。それ以外の選択肢を知らなかったのです。それが、転職して勤めた会社がブラックすぎて「もう辞めたい!」とタクさん(旦那さん)に言ったところから一変しました。
「それなら世界一周旅行に行こう」そうタクさんが言ったのです。
世界一周は昔からの彼の夢でしたが、私にとっては“特別な人だけが行けるもの”であり自分たちには関係ないまさに“夢”だと思っていました。けれども、その時の私にはそれ以外の選択肢はなく、迷わず「行く!」と言っていました。そして最初の目的地であり留学先でもあるセブ島に降り立ったのが2011年の4月2日、29歳の時でした。
旅が教えてくれた自分というもの
それから約1年間、2人で気の向くままに世界を旅してまわりました。行先も、行き方も、泊まる場所でさえその時に決めればいい、そんな旅は「私たちはどこでも生きていける」と教えてくれました。一方で、旅人の間で必ずと言っていいほど聞かれるこの質問にうまく答えられない自分に引け目を感じていました。
「なぜ旅に出たの?」
私には「タクさんが旅に行きたいと言ったから」という理由しかなかったからです。そして、とうとうラオスのビエンチャンという街で初老のアメリカ人の男性に「それは君の意志ではない」そうはっきり指摘されたのです。それからというもの、私の意志は何なのか、私は何がしたいのか、旅をしながら考えるようになりました。繰り返し、繰り返しタクさんにいろいろなことを聞いてもらいました。そして、旅も終盤にさしかかるころ、なんとなく見えてきたことがありました。
ひとつは、私は自分の意志でタクさんについて世界を旅すると決めたこと。なぜなら、私にとっては、彼と一緒に生きていくことが一番大切なことだから。もし、もう一度あのアメリカ人の男性に出会ったら、胸を張って「タクさんが旅に行きたいと言ったから」と言います。
そしてもうひとつは、自分が昔から頑張っている人を応援することが好きだったということです。
するとタクさんはそれを待っていたかのように「旅人を応援するための英語学校を2人でセブ島でやらない?」といい出したのです。
こうして私たちは少しの準備期間を経てセブ島に戻ってきました。それが2012年の10月10日のことで、12月1日にはクロスロードをオープンしてしまいました。小さいけれども、いろいろなバックグラウンドを持つ生徒さんと出会え、少しでも役に立てることがうれしくてこの時初めて自分のやりたいことを仕事にできる幸せや楽しさを実感しました。30歳をすぎて、初めて自分の人生を生きている、そう思えるようになったのです。そして、31歳で第一子(優磨)を授かった時、これからは家族3人でもっと素敵な生活が始まるんだと思いました。けれども、実際には、とてもつらいものでした。
想像以上に難しかった仕事と育児の両立
クロスロードで生活するうえでは“家事”はハウスキーパーにやってもらえるので、育児と仕事だけしてればいい。「だから日本のママに比べてラクなんだよね~みゆさん」なんてタクさんが言うと隣でにこにこしておきますが、実際には仕事と育児の両立はとてもつらいものでした。それは、「もう辞めたい!」と世界一周へ飛び出すきっかけとなったブラック企業に勤めていたころのほうがはるかに楽だったと思えるくらい。
優磨が生まれてしばらくは、母親なんだから全部自分でやる!と気負っていましたが、自分の都合通りには全く動かない赤ちゃん(当然ですが)のお世話に、自分の都合とはまったく関係なく舞い込んでくる仕事(生徒さんと一緒に生活しているので)、時間通りに終わらせなければならない仕事。夜も授乳と夜泣きでろくに眠れない日が続き、あるとき抱っこで寝かしつけている間に後ろにそのまま倒れました。ベッドがあったからよかったものの、子どもに危ない思いをさせてしまった、このままではいけないとベビーシッターをつけるようになりました。こうしてやっとゆっくり眠る時間や、仕事は仕事と育児と切り離して時間がとれるようになりました。最初は、子どもを人に任せるなんて母親としてどうなんだろう、、、そんな風に罪悪感を感じることもありましたが、私自身が時間や気持ちに余裕を持てることで子どもと接する時間もずっと楽しいものになりました。
自分の子育てに自信が持てない日々
優磨が自分の意志で動けるようになるにつれて育児の大変さも増していきました。目を離すと家から飛び出して道路に出てしまう、生徒さんみんながご飯を食べている食堂で走り回ったり、ipadを取り上げると癇癪をおこす、そんな行動にどうしていいかわかりませんでした。モールの中でお母さんと手をつないで歩いている子どもを見ては、なぜ私たちにはできないのだろうと思い、フェイスブックで素敵な子育てをしている人の写真を見ては落ち込んでいました。でも、本当はきちんと優磨と向き合えていないことがわかりつつも仕事が忙しいと避けてきた自分の問題だということを自分自身が一番わかっていました。
バランスが整った日本での子育て
そのため、第二子である優月の出産は日本でしたいとタクさんに相談しました。育児に専念する時間を取りたかったのです。自分で決めたこととは言え、大きなお腹をかかえ、優磨と二人で生活するのは最初は大変でした。「優磨はママを困らせてばかり」(その時の記事はこちら)そんな風に思って大泣きしてしまったこともありました。けれども、そうやってぶつかって、ふたりで泣いたり怒ったりしながらもきちんと解決していくそのプロセスを踏むことで少しずつ自分の育児に対する劣等感を払拭していくことができました。
環境を変えたことで見えてきたもの
それまでずっと私の心のどこかに、同じ仕事をしているのに「なんで私だけ育児と仕事の両立で苦しまなければならないのだろう」そんな不満を持っていました。けれども、離れて客観的に見るとタクさんが日々やっていることのすごさ、責任の大きさやプレッシャーが見えてきて、自分には到底できないことだと思いました。だったら、私は私がやれることで彼をサポートしよう。育児は私が責任を持って、タクさんには子どもたちに愛情を注いでもらえばいい。そして、父親としてその背中を子どもたちに見せてもらいたい。そう、自然に思えるようになりました。
息苦しくなってしまった日本での引きこもり育児
大事なことを得ることができた日本での育児でしたが、新生児の世話にもなれてきて、日々の生活が落ち着き始めると、次第に息苦しいものとなっていきました。幼稚園とスーパーの往復、会うのは家族かママ友だけ、タクさんが稼いだお金をただ使うだけ、そんな生活の中では自分の成長も感じられないし、社会とのつながりもない。自分は誰の役にも立っていないそんな風に感じるようになっていったのです。
新しい夢の始まり
そして、旅の途中で考えたように私の意志は何なのか、私は何がしたいのかと繰り返し考えるようになりました。そしてやはり頑張る人を応援したい、ではそれは具体的には誰なのかと考えた時に、子育てをしているママだからこそ、同じように悩んだり、迷ったりしながらも頑張っているママを応援したいと思いました。
私は日本とセブの子育てを経験しました。どちらの子育てにもいいところがあり、そうでないところもあると思います。けれども、子ども2人をつれてクロスロードに戻ってみると、やはりここでの子育てが好きだなと思います。
遊びたい盛りの4歳男の子と生後5カ月という赤ちゃんと一緒でも、自分のやりたいことをする時間を持つことができて、様々なバックグラウンドを持った生徒さんに出会え、私自身が刺激を受け、成長することができる。
辛い時に一人で抱え込む必要なんてなくて、頼らせてくれる人がたくさんいて、答えはひとつではなく、いろいろな形があっていいと教えてくれる。
子どもは子どもで、「グローバルに育てたい」そんな風に思う必要もないくらいすでに国や人種を超えて遊び、家族以外の人にも「かわいい」「今日何してたの」「あそぼー」と愛情を注いでもらってまさに「すくすく」育っています。
セブ島は、ママが自分らしく過ごせる場所です。子供どもたちにとっては、どんなに快適な環境よりも、おいしいご飯よりも、素晴らしい教育よりも、ママがニコニコ笑って一緒にいてくれることが一番幸せなのだと思います。
もっと多くの日本のママに、日本から出てみるともっと素敵な子育てがあるということを知ってもらえたらと思っています。